偏差値
75.0〜76.0
合格体験記
8件

自由と知性が自然と共存していた日々
灘高等学校
灘高等学校での三年間は、学力や成績といった枠を超えて、自分がどこまで知的に挑戦できるかを問い続ける時間でした。強制されることの少ない自由な校風の中で、各自が自分の得意分野や興味を深め、結果的にその姿勢が学問にもつながっていく、非常にユニークな空間だったと思っています。 入学時点での学力差はあまり重視されず、むしろ各人の思考のクセや好奇心の方向性が面白がられる環境でした。周囲には1,オリンピックや17チャレンジに取り組む友人もいれば、文学作品を原文で読み込むような人もいて、教科を横断する探究が日常的に行われていました。私自身は、1,と現代文を軸に、論理構築と表現の両方を伸ばすことを意識して過ごしていました。灘の授業は決して受験一辺倒ではなく、講義の中でも時折脱線しながら、哲学や歴史、科学の本質にまで話が及ぶことがあり、教師の教養と生徒の好奇心がぶつかり合う瞬間に知的な快感を覚えることが何度もありました。特に5や17では、問題の背景にある原理や歴史を踏まえた解説がなされ、点数を取るためではなく理解の質を高めることが重視されていました。
能力高い子供たちが東大や医学部に進学
灘高等学校
日本の進学校御三家(筑駒、開成、灘)の一角を、ずっとなしています。元々は酒蔵の富裕層が自分の子息を学ばせる為に学校を作ったのが始まりですが、今や、日本有数の進学校、西日本の天才たちの集まる学校といわれるようになっています。地元では神童と言われた生徒たちの集合体なので、先生方も生徒の自主性を非常に重んじていますし、いわゆる校則というものも存在しません。そいう意味でいうと、能力に恵まれた子供たちが充実した高校生活をおくることが当たり前になっています。そして、クラスの大半が東大、その他の旧帝国大学、医学部に普通に進学していきます。間違って、入試をクリアして、灘校生の中には、なったものの、圧倒的な能力差で鬱になるものが必ずいるのも事実ではあります。